アマチュア無線

1970年に最初の局面を受け大学受験の準備に入るまで自作のAMの送・受信機に始まり、 9R42J,TX88D,TS-510,FT-401を使っていました。

大学に入学し上京して、しばらくたって、新しい局面を受けました。手元にはUHFのハンディー機とFT-107が在りましたがほとんど運用できませんでした。

1986年の3月に無事に長い学生生活にピリオドを打ち、今住んでいるこの町へ来きました。未だそんなに日も立たない9月に、サンタ・フェの町でハム・フェスティバルがあり、その場でアメリカのライセンスが取れることが分かりました。約3週間くらい、錆び付いていたCWの聴力の回復トレーニングと、学科(特に法律と無線用語)の勉強をし、何とか13ワードは取れるようになりました。試験当日は、まず最初に、13ワードのCWのテストを受け合格し、その後、無事にノビス、テクニシャン、ジェネラル、アドバンストまでの学科試験にも合格することが出来ました。それから、2ヶ月もしないうちに待望の免許がとどきました。コール・サインはKF5SMです。

その頃はアパートに住んでいたので運用は出来ませんでしたが、試験を受けたときに、ハム・フェスティバルでSIGNAL ONEのCX−7を手に入れよく受信していました。アンテナが貧弱だったせいか、あんまり聞こえませんでした。翌年の6月には、テキサス州ダラスで開かれたハム・フェスティバルへ行き、ドレークのCラインを入手しました。相変わらずのアパートぐ暮らしで未だ満足ゆく運用は出来ませんでした。

そうして過ごしているうち、1989年の秋(10月)に長男(良太君)が生まれることとなり、6月の末に、手狭になったアパートを後にし、現在住んでいる家へ移りました。その時の条件のひとつが十分な大きさのアンテナが張れる土地が在ることでした。7月にお腹の大きくなった奥様を連れてコロラド州アスペンへ。本当の目的は、アスペンの町から小一時間の距離にある、グレン・ウッド・スプリングのハム・フェスティバルへ行くことでした。そこで、3エレのトラ・イバンダーを手に入れ、帰りの道はかなりスピードを出して帰ってきたような・・・・記憶があります。それから、ハード・ウエアー店で長さ10フィート(3m)直径2インチ(5cm)のパイプを2本かいこんで、あっという間に、トラ・イバンダーは使用可能な状態になりました。この頃にはFT-757をメインに使い始め、コンディションもかなり良くなり、比較的簡単に日本の局とお話出来るようになりました。

その年の9月、またサンタ・フェのハム・フェスティバルで、今度はDentronのMLA-2500というリニアアンプ(8875を2本使用)を入手し、出力電力を1KWへ。11月には、Hygain の16mのクランクアップタワーと、TH7DXXを購入。しかし、季節は冬になり穴掘りは一時中断、残りの工事は年が明けて1990年まで持ち越し。さらに、3ヶ月ほどかけて、タワーのための穴掘りを終え、コンクリート・ミキサー車で3立米のコンクリートを打ち、待望のアンテナが上がりました。

1999年現在の設備もこの時のままです。1世代も、2世代も遅れた物ですが十分に機能してくれます。

Antena:
TH7DXX(Hygaian)
Rotary Dipole(40m自作)
RV-5(クシュ・クラフト)
設備:
FT-757(Yaesu),
TX& RX-4C(Drake),
CX-7(SignalOne),
MLA-2500(Dentron)
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